江戸時代から続くのどの専門メーカー。龍角散の歴史
こんにちは!
(株) 龍角散のスズキです。
龍角散が昔からある、ということはなんとなくご存じの方も多いかなと思います。
実は今から200年ほど前の江戸時代から続いている会社なのですが、歴史が長い分いろんなストーリーがあるんです。
現在の代表取締役社長 藤井隆太は八代目。過去にどんな歴史を経て今に至るのか、せっかくなので皆さまに(ざっくり!)ご紹介したいと思います。
藤井家はもともとお殿様に仕える医師だった
江戸時代、秋田藩で佐竹侯に御殿医(=お殿様に仕える医師)として仕えていた藤井家。藤井玄淵(げんえん)と玄信(げんしん)親子は日頃培った医学の知識を活かし、お殿様だけでなく領民たちへの診療も積極的に行っていたと伝えられています。
後に村で流行った病気のため、息子の玄信が父・玄淵が作った薬を改良し、のどに効く成分を加えたものが、現在の龍角散の始まりと言われています。このようにして龍角散は秋田で生まれました。
余談ですが、当社の過去のCMには秋田県の佐竹敬久知事が出演しているものがあります。なんと佐竹知事は、藤井家が仕えていた佐竹侯の末裔なのです!
200年の時を超え、素敵なご縁ですよね。現在は秋田県の八峰町と美郷町で、当社製品の原料となる生薬やハーブの栽培も行っています。
三代目 正亭治により秋田から東京・神田へ
幕末のころのお殿様は喘息に苦しまれており、三代目である正亭治は喘息に効き目のある薬をつくるため、西洋最新の医学を学べる長崎へ修行に出ます。蘭学を学び秋田へ戻った正亭治は、お殿様のために家伝薬を改良したそうです。
明治に入ると廃藩置県が行われ、正亭治は元のお殿様のお供をし、東京に進出します。その際に門外不出の藩薬であった「龍角散」は藤井家に下賜されたのです。
そして当時の東京はホコリっぽく多くの人が咳に悩まされたこともあり、明治4年に東京・神田に薬屋を開き「龍角散」の名で一般向けに販売が開始されました。
四代目 初代得三郎がより飲みやすい形状に改良
現在の龍角散はとても細かい微粉末で、水なしでも飲みやすくなっておりますが、明治時代はまだその技術が確立されていませんでした。そこで四代目の初代得三郎は、もっと飲みやすく効果を発揮しやすい形状に改良しようと思い立ちます。ドイツの薬学博士から最新の技術を学び、製剤開発に奮闘。4年の時を経て、明治26年にとうとう微粉末状の生薬製剤を完成させました。
コロナ流行の100年前にも世界的なパンデミックが
2019年ごろから新型コロナウイルスが猛威を振るい、世界中でパンデミックを引き起こしました。実はそのちょうど100年前の大正時代も世界的パンデミックが起こっていたことを皆さまご存じですか?
そのパンデミックの正体は、「スペイン風邪」です。日本国内も大混乱となり、大勢の方々がのどの症状に苦しんでいたと言われています。当時の生産量で需要に見合った供給ができなかったことから、生産性向上のため工場を併設した本社ビルを新設しました。
関東大震災の発生
当時は珍しかった鉄筋コンクリート造の工場を併設した本社ビルが完成し、いよいよ本格的に全国展開しようとしていた矢先、関東大震災が発生。周りは焼け野原になってしまいましたが、本社ビルは形状をとどめて残ったため避難場所としても使用されたと言われています。
メディア戦略を成功させた七代目 康男、海外への輸出も開始
六代目・得三郎(三代目)の息子である前社長、康男。更なる工業化を進めるべく、製造にかける人数を減らしコストカット、そして販売は問屋さんに委託。その分、メディアを通して宣伝するという戦略を取ります。この時代にはまだ珍しかったのではないでしょうか。この戦略が見事功を奏し、今も使用されている「ゴホン!といえば龍角散」という有名なフレーズとともに全国的に知名度を大きく上げるだけでなく、台湾・韓国への輸出も開始しました。
こうして八代目 隆太へ受け継がれます。
40億の負債を一掃、売上高を6倍の240億へ
八代目の隆太(以降藤井と表記させてください…)が会社を継いだころ、売上は年間40億。そして負債も40億であったそうです。当時社内に危機感は全くなく、老舗企業ならではの保守的な雰囲気が蔓延っていたとか。さすがの藤井も音を上げて、一時はもう無理と諦めかけたそうです。
しかし、会社をたたむことも考え奥様に相談を持ち掛けたところ、「ここまでこれたのはご先祖様のおかげなのだから、今こそ恩返しをしなくては」という言葉がかえってきたため、考えを改め「やれるだけやってみよう!」と決意したそうです。素敵なお話ですよね。
以降、まずは社内で小さなチームを組み挑戦を始めることに。「龍角散ダイレクト」「龍角散ののどすっきり飴」「服薬補助ゼリー」など、様々なヒット商品を生み出しました。
中国への一般貿易も開始し販路を拡大、今では世界を股にかけ愛される薬へと成長できました。
結果、社長就任時40億であった売上を240億まで伸ばし現在に至ります。
かつての藩薬に伝統と革新を重ね、200年以上の歴史を刻んできた(株)龍角散。
今回はかいつまんで大枠を紹介しましたが、今後どこかのタイミングでもう少し現代の部分は詳細に紹介していきたいと思います。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
▼参考
以上